出雲での、今日明日

 頭は柔らかく ・ 心は軽く ・ 歩みはゆったりと  行こうと!

米寿のおばあさん  

戦前の昭和10年代中ごろから終戦後の昭和23年まで我が家へお手伝いに来て頂いていたのが”とみさん”です。
父が兵隊に出ていた間は母と姉と私の6人の家族を助けてくれたお手伝いさんです、戦時中の奉仕作業など男の仕事も頑張って母の談”助け神さん”(神様・仏様・とみさん)だったと聞いています。

 この春には米寿と聞きお祝を家内とお邪魔してお渡ししました、私は昭和18年生まれですから覚えは有りませんが両親と姉4名がお世話になっった事は我が家の語り草です。

 姉たちは集まればナンノカネ(必ず)”とみさん”に叱られてオゾカッタコト(怖かった事)を楽しく話します、とみさんが我が家に居た年頃は女子高生女子大生の年頃でしょう姉達は3歳から小学生の頃です、
あの戦争中の辛い時代大人も子供も懸命に生きていたから、愛の鞭を今も有り難く覚えているかも知れません。


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9人の子供に恵まれた大家族で子供どうしがお互い兄弟姉妹助け合って一人前に自立しています(主人と2人は死亡)

 クヤンコト(悔やむ事)など聞く事は有りません、戦時中のエラカッタコト(大変だった事)も今は大笑いで我が家での事を楽しく明るく語る”とみさん”です  ヘー(ひ)孫が書いた絵と折り紙”ひかわのおばあちゃんべいじゅおめでとう”と書いて有ります 3歳の孫も3歳のひ孫も居るとか兄弟と従兄弟も同じ年も居たかも知れません

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笑顔の絶えない”とみさん”です今年の正月も子供に孫にヘー孫が”修学旅行みたいに部屋いっぱいにオオニンジ(大人数)が来て楽しんだ”とか

米寿の祝いにも40名くらいが集まるようで、時代も移り子よりも孫20人が段取りをするようです、物には変えられない大家族ならではの幸せいっぱいの”とみさん”の人生です。


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母が亡くなった時に形見にあげた老人車が14年経ったいまも活躍していました

明るい笑い声を聞けば亡き母の供養にもなるでしょう


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今は長男と2人暮らしで山と庭の手入れをしながら、オンボラ(穏やかに)とオチラト(ユックリのんびり)暮らしかたです。

今日13日は斐川町に有る「全国3大美人の湯」と言われる”湯の川温泉”四季荘で孫達の主催で時を忘れるほどのオオハイゴン(大賑わい)の事でしょう。
写真をミラナエケンワ(見せて貰う事)と思っています







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